初めまして、ともきです。
僕は高校生デビューに失敗し、不登校だった状態から「絶対人生変えてやる」と奮起し、
第一空挺団に入隊した話をしようと思います。
なぜ自分は不登校から第一空挺団にいけたのか
第一空挺団はぶっちゃけどうなの?
という話をしていけたらなと思っています。
まず、第一空挺団がどんな部隊か知らない人のためにどんな部隊なのか解説しようと思います。
第一空挺団とは、陸上自衛隊唯一のパラシュート部隊であり、陸上自衛隊すべての部隊のお手本となるべくして作られ「先鋭無比」(他に比べるものがないほど優れている)を掲げる超エリート部隊です。
そんな空挺団には様々な逸話・都市伝説があります。
・2階から飛び降りれば5000円やると言われて3階から飛び降り無傷で着地。
・長距離走の際に84mm無反動砲を担いで、64式小銃を持つ一般隊員を笑顔で追い越す。もしくは無反動砲を持ったまま追い掛け回す。
・居酒屋の二階部分(座敷タイプ)で宴会をやっていた時のこと。時間が来たので解散すると思ったら、窓からダイブ。
・とある戦車部隊が第1空挺団と対抗演習をした際、空挺団員が対戦車ミサイルを最低射程距離ギリギリで笑顔を浮かべながらぶっ放してきた。
と、数々の逸話がありネット上では「第一狂ってる団」とか言われています。
なぜ僕はこんなすごい部隊を志したのか。
↓↓↓ここから僕のストーリー↓↓↓
僕は中学までは普通に学校に行って、普通に学校生活を楽しんでいました。
中でも当時部活でやっていたソフトテニスが大好きで、高校では強豪校に入り本気でやりたいと思っていたため、地元でも全国常連の私立の高校に行きたいと思っていました。
しかし、僕の親は全くの反対意見でした。
「頭の悪い私学なんていくな」
「お前はソフトテニスで食っていける訳じゃないんだからちゃんとした高校行け」
と言われ、当時の学力で余裕もっていける、ソフトテニス部がある公立高校に受験を決めました。
結果受かることはできたのですけれども、地元からは結構離れており
同じ中学からの友だちもほとんどいませんでした。
そのまま人間関係をうまく築くことができず、
僕は高校1年の1学期から少しずつ欠席が増えていき不登校になりました。
高校1年では特別処置で単位が貰え、2年生に進学できましたが
2年生では不登校で単位を取り切れず中退。
高校生のほとんどの時間をゲームに費やしていました。
学校に行かないと母の機嫌が悪く、仕事帰りの父に怒られ
気まずくて部屋に引きこもり現実逃避。
僕は正直学校に行きたいと思っていましたし、行かなきゃと思ってました。
でも朝起きたときに身体が動かなくて、学校に行きたいけど行けない
そんな矛盾に苛まれてさらに病んでいくという負のループにはまっていました。
そんな中、高校3年生の夏
そろそろ次の進路を決めないといけない場面で
youtubeを見ていた時に偶然「第一空挺団の降下訓練の映像」が流れてきました。
僕は、命がけで空から飛び降りている人たちがいると知り、衝撃を受けました。
そして、自分がこんなすごいことできたら絶対自信になるし自慢になるとも思いました。
そして、どうしたら第一空挺団にいけるか調べまくりました。
すると自衛隊の最初の3か月の前期教育でいい成績を収めれば
後期教育の3か月で空挺団の部隊に行けることを知りました。
空挺行くための素養で必要な体力を身につけるために
その日から僕は筋トレをしまくりました。
懸垂や腹筋、走り込みに縄跳びとありとあらゆることをやりましたし、
夜の公園でひじの筋がピキピキ言うまで腕立てをしました。
マジで本気になってやりました。
その結果、自衛隊の前期教育では区隊の中で体力優秀賞を取ることができました。
本当に空挺に行くという覚悟持ってやったのが成果の秘訣ですね
まじでやってよかったです。
そのおかげで後期教育で無事空挺に行くことができました
しかし後期教育では本当にボロボロでした。
全国から体力お化けたちが集まる中で、後期の最初の体力検定では下の下
本当に井の中の蛙を思い知らされました。
自分は班の中でも体力がない方で
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